自己に向き合えるように整える

先月で通い始めてから1年が経ったゲストがいます。

何で1年以上通っていて、今でも通っているのか?

このゲストは当初は右膝が痛くて歩けませんでした。週1ぐらいの来院を続け、半年が経つ頃にはかなり楽に歩けるようになりました。

この方は年配の女性なのですが、こちらで教えたストレッチなどの自己療法をかなりマジメにやっていました。余裕が出てくるとこちらで言っていないような事まで「先生、この動きはどうかしら?」「これをやると痛くなるって解ったわ」「今日はこういう風に痛みが変わってきた」と熱心です。

やりすぎると自分で自分を壊してしまう…っていうのはよくあるんですが、この方はやり過ぎてしまったら、そこから自分の身体の限度や可能性というものを学んで、回数を変えたり、やり方を少し変えてみたり、、、

探究しているんだな。

そして痛みが残っていても、痛みの種類や感じ方や範囲の変化をしっかり理解しようとしている。

当たり前のように感じる事も
80近くになっても
「先生、毎日新しい発見ですよ」と。

当たり前だよ。当たり前じゃん。じゃなくて
当たり前のことを良く感じ良く味わう。痛みというメッセージを良く味わう。

逆にこちらが諭されているような気持ちになります。

普通だったら
ああ、ここの施術が合わないのかな…とか思うでしょう。

もはや「治してあげたい、なんとかしてあげたい」ではなくて
「これはどう?」って対話をするような感覚。

「先生、もし先生のところに伺っていなかったら、今でも整形外科で膝にヒアルロン酸の注射して、たまに膝の水を抜いて、でも全然歩けない状態だっただろうって思うと、やっぱり通って良かった」

と言われて、、、
(ちなみに当院に来られるまで半年以上整形外科に通っていてちっとも良くならなかったそうです)

病気をしたせいで…ではなく
病気をしたおかげで…
自己に向き合える

自己に向き合えるように整えるお手伝いをする、というのが操体なのかな。

そういった事が自然にゲストと噛み合ったのかな。

なんてぼんやり思ったりもします。

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コクリ|ナベジュン整体とドライヘッドスパのブログ